■優秀児の壊れ方
すべての生き物には学習するという本能があります。人間の赤ちゃんも猛烈な勢いで学習をします。
つかまり立ちをし、やがては歩くようになります。
赤ちゃんは親を喜ばせるために立ち上がるわけではなく、本能に突き動かされて立ち上がるのです。そこには何の打算も計算も働いていません。この本能の部分をそのまま潰さなければ優秀児が壊れることはありません。
ところが、子供はある時期から親の顔色に反応するようになりますが、そういうことが必要な場合もあります。
赤ちゃんが危険なものに近づこうとした時、親は恐い顔をします。言葉を理解できない赤ちゃんは自分が何かいけないことをしたことに気づき、その情報は脳に刻まれます。これは必要な躾です。
しかし生活全般、学習全般にこれをしてしまうと、本能の部分が磨り減ってしまい、自分の興味のままに何かに取り組むということがなくなってしまいます。
自分の興味や好奇心を満たして叱られるより、親の顔色を伺って相手の喜ぶ行動をとった方が楽だからです。
これでは、動物に芸を仕込むのと同じです。
好き好んで火の輪に飛び込むライオンはいません。飛び込まないと叱られる、飛び込むとご褒美がもらえるから、仕方なしに飛び込んでいるのです。本能の部分を殺し、力づくで支配しているのです。
*同じ方法論を人間の子供に用いるのは決してしないようにしましょう!
■「従順さ」と「優秀さ」は両立しない
我を通して叱られるより、大人の顔色を伺い、相手が喜びそうな答えを素早く用意できる子供を「優秀」と判断する場合が多いようです。
でも、この場合の「優秀さ」は「お利口なワンちゃん」と同程度の意味合いです。
ワンちゃんを連れて散歩をしていて、道で知り合いに会い「はい、タロちゃん、ご挨拶は?」タロちゃんは何度も練習させられたご挨拶を一生懸命やります。「あら、お利口なワンちゃんね」と褒められ、ご主人様は悦に入る。飼い犬はご主人様に褒められ、頭をなでてもらい、餌をもらうのが大好きです。
■親バカになっても、バカ親になってはいけません
子供のちょっとした長所に大喜びし、将来に大きな夢を膨らませるのが“親バカ”です。
これに対して「子供のため」と言いながら、実際には自分の不安と欲望に流されて、わが子に対して虐待としか思えない仕打ちを平然と日常的にやってのけるのが“バカ親”です。
もちろん子供を虐待している自覚はまったくありません。子供の痛みや苦しみに対して極めて鈍感なのです。
親同士の見栄の張り合いはまだ罪が軽いのですが、より深刻なのはお姑さんの目を意識して子育てをすることです。
親同士の見栄の張り合いに疲れたら、付き合う相手を替えればいいだけですが、家を変えることは簡単にできません。
■「躾」と「教育」をはっきりと区別
「人をたたいてはいけない」「人の物を盗んではいけない」など、躾に関する部分は有無を言わさず従わせます。
でも、教育の部分はあくまでも本人の知的欲求を満たす方向で進め、決して無理強いはしないで下さい。本能の赴くままに知的欲求を満たしてあげればよいのです。
権威主義的な教育者は素直で従順な子供を好み、言うことを聞かない子供は力づくで従わせようとします、すると子供は大人の顔色を伺うだけの子供になり、優秀さは失われてしまいます。
参考著書:宮本哲也「強育論」05.6
